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なぜ日本人は学ばなくなったのか

なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943) (講談社現代新書 1943)
なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943) (講談社現代新書 1943)齋藤 孝

講談社 2008-05-20
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おすすめ平均 star
star天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。
star子どもが向学心に燃える社会になるためには?
starこの本を読んで一番感じたこと。そして今後を考えた場合…。

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若者の学力低下を招いたゆとり教育への反省を踏まえ、かつてのヨーロッパ的教養主義復権を!


最近の学生はあまり本を読まない、読んでも軽い小説やエッセー、漫画等のお気楽活字モノが多いようです。著者は敗戦後の急激なアメリカ化に文化の退廃を見るわけですが、ロックやヒップホップのバカにしようが半端じゃありません。特に黒人文化の受容に対する批判はちょっと行き過ぎ感があります。(そこがまた良いのですけれど。)アメリカ的な薄っぺらい享楽的文化に浸って不安から目を逸らし安穏と日々暮らすのではなく、古き良き日本人が持っていた歴史と伝統に裏打ちされたヨーロッパ的な思想、哲学を通して自己を深く見つめ直すことで自己形成し、向学心に燃えて常に上を目指せ、という強烈なエールです。


この人の理論だととにかく本を読めと、小学校低学年から坊っちゃんクラスの漱石を音読させた方がいいらしいですが、私だったら投げ出してたと思います。なぜなら、意味が分からない言葉が多すぎるし、話を楽しむだけの予備知識もないのでつまらないからです。何なんでしょうね、この手の苦行がやがて高潔な自意識に結実するかもしれませんが、普通の子は嫌がるでしょう。果たして無理強いしてまで本を読ませる必要があるのかというと、多分小中学生は多少分からなかったとしても読書習慣をつけることや後々小難しい本を物怖じせず手に取れる功徳の方が多いということなんでしょう。


まあそれはそれとしても、本さえ読めばいいのかというとそうでもありません。若い頃に悶々と読書に耽って頭でっかちになってしまったら社会で使い物にならなくなってしまいます。著者も指摘していますが、必要なのはただ読むだけでなく、読んだ本について仲間と語り、理解を深める作業が不可欠だということです。多分、それなりに20年近くも生きていれば哲学思想界の著名人や名著の一つや二つ知らんはずはないわけです。そういう何だか敷居の高そうなものへの憧れも当然あると思います。そこから知識を吸い取って自己形成の肥やしにしようという行動に行かないのは、娯楽サークル活動やコンパ、バイトに明け暮れる学生が共有する雰囲気がそういう方へ向かないからでしょうね。


また、現代はとりわけ成功人生イコール金みたいなところがあって、できる人はビジネスに直結しない教養よりも社会で必要とされるスキルを身につけるための自己投資の方に目が行きがちだと思います。必要であれば積極的にセミナーや勉強会に参加するし、進んで議論にも加わる。これはこれで悪くないんじゃないかと思います。もちろんビジネスの根底には古典的な哲学にも通じる経営思想があるかと思いますが、そういう場所へたどり着くのは表面的なスキルを身につけてからの話だと思います。


今日では古典的な思想、文学、理論より実践的な知が求められるので、著者の言うヨーロッパ教養主義は話としては分かるのですが、学生はそういう遠回りがあまり許されない、ある意味猶予期間は短くなっているように思います。こうして一般教養なるものは大学のカリキュラムから次第に姿を消し、代わりによりニッチで専門性の高い学部、学科が増えることになります。


一般教養が高尚でありがたくて憧れだった時代は多分もう終わっています。しかしその反動として、思想的バックボーンがなく、人生の目的を見つけられないままにその日暮らしに身を落としてしまう若者が増えているのもまた事実。ゆとり教育と急激な社会構造の変化の狭間でもがきつつ、精神的、経済的な独立を果たすにはある程度の教養が必要だが、その習得機会は本人が積極的に望まない限り生まれません。普通に進学するだけでは不足なのです。自己形成に必要な知識や経験はなるべく若いうちに得ることが望ましいく、かつ読書は今も変わらずその非常に有力な手段の一つだと思います。子供たちの手に取れる場所に置いておきたい一冊。